掲示板「金魚すくい」とは

今ではあまり見かけなくなった夏祭りでの「金魚すくい」ですが、子供のころ私は大好きでした。

下手な人は一匹もすくえないのに、上手な人はどんどんすくうことができます。

じつはこの「金魚すくい」にはコツがありますよね。

金魚を追いかけない、チャンスを逃さず頭からすくう、尾びれをポイに乗せない等々...

今思うに、これって人生における極意みたいなものではないでしょうか。

じつは気付いていないだけで、日常生活にはこのようなシーンがいくつも転がっているに違いありません。

重要なのは、その一つ一つをすくい取ることのできる感性です。

このような思いから、レッスンのなかで抱いた様々な疑問に対し、新たな視点で問題提起することが、根本的な解決への道に繋がると考えました。

 

これらの記事は教室内の掲示板で読むことができますが、教室HPにも掲載することにしました。

皆様からの率直なご意見・ご感想もお待ちしております。

より良い教室作りのために、今後ともご支援の程よろしくお願いします。

  • プロの所作を真似する~才能の正体より
  • 日本人が理解しにくい言葉「エリート」
  • 今年のキーワードは「今がいちばん幸せ」
  • 英語の必要性とは
  • 命あっての物種~コロナ禍に寄せて

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プロの所作を真似する~才能の正体より

=お渡ししている動画、活用できていますか=

 

しかし誰かのまねをすることに対して、否定的な人も結構います。

「自分はその人より能力が低いのだから、できる人の真似なんかしても意味がない」と思う人が、わりと多いようです。また「真似をするよりも、オリジナリティを出さなくちゃ」「自分の個性で勝負しないと戦えない」といった考え方をする人もいます。しかし、それは間違っています。最初からオリジナルなものなんてできっこないんです。天才でもない限り。

 

そもそも、人間は一人ひとり違います。身長も違えば声も違うし、今までに受けてきた教育も人間性も違う。なので、どんなに完コピ(完全コピー)しようとしても、必ずズレが出てくるのです。つまり、どんなに誰かのまねをしても、あなたらしさは出てしまうものなのです。それに、基礎がないうえに、ただただオリジナリティを築いたって、そんなものは見かけだおしのオリジナリティ。あなたが戦うための武器にはなりません。

 

ですから、まずは完コピで能力を磨くための基礎を作るのです。完コピを徹底的にやると、必然的にオリジナリティが出てきます。それが個性です。その証拠に、歌のうまい歌手ほど、他の歌手の物真似が上手です。日本人であれば、英語の発音が綺麗だったり、外国の人が日本語の発音が上手だったり、これも歌の上手さと関係があります。耳が良く、その正しく聞きとったものを自らの口で発音できるという、この二つの能力が備わって初めてなせるわざです。そのうえで、自分のオリジナルの歌唱法を確立できているのが、プロの歌手の凄いところです。

 

さて、完コピするときにいちばん近道で効果のある方法とは?それは、できる人の動きを見ることです。動画を見ながら、上手な人のどこにうまくいくポイントがあるのかを見つけるのです。完コピにあたって、もうひとつ大切なことがあります。完コピをするときは、その人の考え方だとか、言っていることではなく、「動き」を完コピすることです。人間が唯一、他人を完コピできるのは「動き」です。思考なんて、一人ひとり全然違っているので、真似してもできているかどうかわかりません。同様に、言葉だけで理解しようとすると、受け取る側は各々で認知が違うためズレが生じてしまいます。つまり、完コピできたかどうかが、はっきりわかるのは「動き」だけなのです。このような理由から、なぜ、上手い人の動画を何回も見て、手の動きや間の取り方を完コピするのか真似をするときには、その人の話や考えよりも「動作」に注目するのか、理解できたのではないでしょうか。

 

して最後にもうひとつ大事なことは「才能そのものが正しい努力によって生まれるということに、多くの人は気づいていない」(起業家、堀江貴文氏)を紹介します。彼のいう正しい「努力」とは何なのか、賢明な皆さんならもうお分かりだと思います。

                                   《坪田信貴の『才能の正体』より抜粋部分あり》

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日本人が理解しにくい言葉 その①

エリート(フランス語:elite)とは

 

たとえば、今のアメリカ大統領であるトランプさんは、ペンシルベニア大学ウオートン校( ビジネススクールとしては超一流)出身で、前任のオバマ大統領と同じように超一流大学を卒業しています。それなのに、世界中のエリートから「彼はエリートとは言えない」といわれるのはなぜでしょう?

 

現在の日本においては、学歴や能力の優秀さで「エリート」を決める、というようなイメージが根強いですね。有名大学卒などの学歴でエリートかどうかを判断することもあれば、国家資格である弁護士、医師など、肩書き(職業)で判断する事も多いようです。

 

しかし、エリートはもともとラテン語で「神に選ばれた者」のことを指します。

神に選ばれるというのはキリストに代表されるように、他人のために死ぬ用意ができているということで、「自分の利害得失と関係なく他人や物事のために尽くせる人」を意味します。

したがって、ラテン語でのエリートとは「人」について使う言葉であって、地位とか階級に使う言葉ではないからです。

 

ラテン語:古代ローマ帝国の公用語であり、ローマ帝国崩壊後もカトリック教会を中心とする全ヨーロッパの知識層の共通の文語として近代まで用いられてきた。現在のフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ルーマニアなど、すべてのロマンス諸語の母体である。

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「今がいちばん幸せ」

 

社会環境の急激な変化のなかで、保護者の方々や子どもの姿から感じることがあります。

ゲームやテレビ、部活動、塾や習い事に自由な時間*と体力を奪われている子どもたち。

大人もしかりで、家計や子どもの将来を思い共働きで頑張っておられる親御さんたち。

大人も子供もあまりにも忙しい。

将来の幸せのために今の幸せが犠牲になってるじゃん、と思うことさえあります。

 

 *(ここでいう自由な時間とは、誰にも何ものにも依存しなくても幸せを感じられるtime and spaceのこと。かといって勝手気ままに過ごすことでもない)

 

子どもはいつだって今を生きてるし、今しか生きられないのです。

これからの幸せと今の幸せ、どっちが大事?

未来を幸せにすることは、今を幸せにすることとつながっているとすれば、輝くような未来は今の幸せの延長線上にしかありません。

 

まずは私たち大人から、今の自分を幸せにしてくれることに目を向けてみましょう。

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 英語の必要性とは 

                                   

「これからの子どもは英語できなくちゃ」「いやいや日本にいる限り必要ないでしょ」

これまでさんざん議論されてきたこの問題ですが、なぜか一番大切なところが抜け落ちています。

それは、英語ができるようになればわかる、ということです。

 

最先端の情報は分野を問わず、まずは英語で発信されます。

サイエンスやテクノロジー、学問、医療、音楽などの芸術分野においても、

英語で検索すると膨大なデータにアクセスできます。

エムイー・ボックスが音楽と英語の教室なのもこのような理由からで、

世界の一流大学の授業や著名な音楽家のレッスン風景も無料で聴講できる時代です。

もちろんインターネットの情報は玉石混交なので取捨選択が必要ですが、

絶対量が多いぶんハイクオリティ/ハイレベルな情報が得られます。

 

さらに、英語はできて当たり前の国際社会においては、英語が話せないと対等な立場に立てない、

英語が使えないというだけで評価されない、それも現実です。

そうなるとビジネスでも留学においても、認め合うことのできる日本人同士でしか交流できなくなります。

一歩日本を出ると、異なる肌の色・性別・宗教の人たちが一緒に世界を良くしようと日夜奮闘しています。

しかし日本人の姿はほとんど見られません。

世界の潮流から日本が取り残される要因の一つに、英語運用能力の遅れがあることは間違いないでしょう。

 

ところで、人の子ども時代ってほんの十数年、大人でいる時間のほうがずっと長いですよね。

となると頑張らなきゃいけないのは、人生100年時代を迎える私たち大人のほうなのかもしれません。

親が学ぶと自然と子供も真似るもの!

子供だけでなく、英語が不得意な親も一緒にやりましょう。

一生ものの学びとは、日常生活の中で自然に組み込まれてこそ得られるものだから。

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命あっての物種~コロナ禍によせて

 

<英語講師MASAより>

生命を守るための制限や監視に関心が集中し、「自由」の問題が劣後している嫌いがあります。なんでもかんでも「命あっての物種」みたいな考え方で、手放してはいけないものを手放すことがないよう気をつけてください。

 

自由というと、当然の権利として与えられるものと考える人や、広々とした青い空のようなイメージを持っているノー天気な人もいます。しかし、自由とは、先人が地を這いつくばって勝ち取ってきた血なまぐさいものです。

 

安全と引き換えに手放した自由は、それ以上の犠牲をもってしか取り戻せません。「生命を守るため」の制限や監視について語る時、それ以上に「自由」についても言葉を尽くすべきです。

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